お久しぶりです。
体調があまり安定せず仕事にも追われていたため、少し間隔が空いてしまいました。
さて本題ですが、『SAEKO : Giantess Dating Sim』を今年の1月ごろにプレイしました。とても新鮮な体験ができるゲームであるとともに、感想として残しておきたいと思える作品でもあったため、記事にしようと思います。
ということで、本記事は『SAEKO : Giantess Dating Sim』の簡単な解説と、個人的な感想を中心にまとめていきます。
※※※※本記事は盛大なネタバレを含みますので閲覧は自己責任でお願いいたします。※※※※

ゲーム解説
『SAEKO : Giantess Dating Sim』
副題のとおり、巨人女「冴子」との関係性を構築する恋愛シミュレーションゲームである。
…
と、見せかけて全然そんな生易しいゲームではない。
そもそも見せかけてすらいないというべきかもしれない。プレイ前にその不穏さを感じとったプレイヤーの勘は当たっている。
では、どのような作品なのか。ということで世界観をざっくり説明したい。

世界観
本作に登場する冴子以外の人物は、すべて“小人”である。冴子が大きいのではなく、それ以外の人が親指よりも小さいサイズになっているのである。
もちろん、プレイヤーの分身である主人公も例外ではない。
…
ひとまず、親指サイズに小さくなった状況を、少し想像してみてほしい。
親指サイズになった人間というのは、それだけで生きていくことが難しい。小動物や虫といったありふれた存在が命を脅かす存在となってくるからだ。
しかし、本作の小人たちは幸いにも、机の引き出しの中という外敵のいない環境で生活することがかなっている。
それは、冴子が保護してくれているからだ。

それならひとまず良かった。
少なくともすぐ死ぬということは無さそうだ。
…
…
…
ところがどっこい、そんな単純な話ではない。
――なぜなら、冴子は、小人を“食料”にしているからだ。

――もう一度言おう、冴子にとって、小人は“食料”である。

それだけではなく、冴子こそが彼らを小人にしている“張本人”なのである。
冴子は街中で気に入った人間を小人にし、自宅の引き出しに閉じ込め、食料としてストックする。そして毎日、新しい小人を連れてきては、一人ずつ食べていく。
彼女は人を誘拐し、保護と嘯いて監禁し、そして殺害しているのである。
…
小人からすると絶望的な状況だろう。引き出しから逃げ出す手立てもなければ、戦ったところでもちろん勝ち目はない。さらに、小人たちが意に沿わない行動をとれば、冴子は容赦なく小人を皆殺しにする。
“小人たちの生死”は、常に冴子に掌握されている。
そしてプレイヤーは、小人でありながら引き出しの管理人である主人公・リンとして、“冴子の食料となる小人を育てる”という役割を背負うことになる。
小人という極端に無力な存在として、自由を奪われ、死の恐怖に怯える。
本作は、そんな絶望の中で、生き延びるための判断を迫られ続けるゲームなのである。

システム
本作は、会話を中心にしたシミュレーションゲームであり、昼と夜の二つのパートを順に進行していく構成になっている。
〇 昼パート
昼パートでは、冴子によって引き出しに閉じ込められた小人たちとのやりとりが行われ、プレイヤーは管理人として彼らの要望に応えていくことになる。
彼らの態度は様々だ。
長く引き出しの中にいる者は真実を知っているため、諦めからかどこか達観している。一方で、新たに連れてこられた小人は冴子に保護されていると勘違いしている。そのためか、脱出を試みる展開も殆どなく、交流もパーソナリティを知る程度に留まる。
また、引き出しの中にはいくつかのアイテムが存在しており、それらは管理人を介してのみ使用できるというルールがある。そのため、小人たちはリンに対して、アイテムを分けてほしい、あるいは必要な物がないかといった依頼をしてくる。
そして、このパートの最後にプレイヤーはとある選択を迫られる。
引き出しの中には毎日“食べ物”が置かれており、その“食べ物”を口にした者は、あるステータスが上昇し、その値が基準を超えた場合、夜に冴子の捕食対象となる。
そして、この“食べ物”を誰が食べるか、それを決めるのがプレイヤーの役割である。
主人公が“食べ物”を食べるという選択はなく、全ての小人が基準値を超えないように調整しても、冴子は怒って小人を皆殺しにする。
つまり、少しでも多くを生かすためには、誰か一人を選ばなくてはならない。
プレイヤーは、小人の“選別”を担う立場に置かれているのである。

〇 夜パート
昼パートに選んだ小人が冴子に食べられた後、引き出しの管理人である主人公は冴子と二人きりになり会話を交わす。ここが夜パートだ。
会話は主に、冴子が語り掛け、主人公が相槌を打つという形で進行する。相槌には制限時間が設定されており、時間内に選択しないことで返答を見送ることもできる。単調に相槌を続けたり、無視を重ねたり、踏み込みすぎた返答をすると、冴子に容赦なく捻りつぶされる。
一方で、踏み込んだ問いを返すことで、冴子がバックボーンを語ってくれたりすることもある。おそらく、ED分岐には関係していないだろうが、“冴子との恋愛シミュレーション”という意味では、このパートが中心的な役割を担っている。

また、物語の進行と直接的に関係はしないものの、ニュースの閲覧やミニゲームができる深夜パートが存在する。ミニゲームは1種類しかないものの、適度に難易度が高く単体でも楽しめる内容になっている。

特徴・魅力
ここでは、個人的に感じた本作の魅力についてまとめたい。
〇 ヒロインが綺麗
人食い癖こそあるものの、本作のヒロインは紛れもなく冴子である。冴子は中身こそ危ういが外見はとても美しい。黒髪赤目で妖艶な雰囲気を纏い、思わず目を引かれるようなシーンも随所に用意されている。ビジュアルと演出の両面でヒロインとしての魅力を感じさせてくれる存在だ。
それゆえに、行動のギャップがより際立つ。これで見た目が怪物然としていれば純然たるホラーゲームになっていただろうが、本作を恋愛シミュレーション足らしめているのは彼女の美しさに他ならない。

〇 葛藤
昼パートでは、命の選別を強要される。自分が選択した人が死ぬと分かっていながら選ぶという状況には、否応なく躊躇や葛藤が生まれるものだと思う。正解を選ぶというよりは、間違いAと間違いBの両天秤に近い。このパートはプレイヤーの価値観がそのまま表に出るため、非常に個人差が出ると思う。私自身もかなり考え込んでしまったので、悩むこと自体を楽しめる人には強く刺さるだろう。

〇 緊張感
昼が悩ませる構造である一方、夜は反射を求められる。冴子との会話では回答に時間制限が設けられており、考える余裕を与えてくれない。ある意味現実の会話がもつテンポともいえる。もちろん立ち回りを間違えるとゲームオーバーとなるため、ただ話しているだけでありながら、常に張り詰めた感覚を味わうことができるだろう。

〇個性豊かな小人たち
本記事では細かく取り上げないが、小人たちも個性豊かで面白い。普通の人というよりは、少しズレているような人が多く、まともな会話を楽しむというよりは独特の感性に触れる場面が多いのが特徴である。個人的には、ロックに通ずる価値観とバランス感覚を併せ持つ『キナ』が特に印象に残った。

間接的な性表現も含まれており、かなり癖が強い作品であるが、一方で他のゲームでは得られない新鮮な感覚も味わえる。正直恋愛シミュレーションかと問われると素直に肯定しきれないが、強い緊張感が物語全体に浸透しており、別の意味でドキドキさせられるゲームであるといえるだろう。
少し癖のあるダークな作品を遊びたい気分であれば、手に取ってみても良いのではないだろうか。
…
ひとまず、本作の簡単なレビューはここまでとし、ここからは筆者なりに本作に感じたことを感想として掘り下げていきたい。
感想
ここからの感想は、あくまで筆者の価値観や感情論から生まれた内容も含むので、その点についてはご了承いただきたい。
まず率直に言えば、私は冴子を素直にヒロインとして受け止めることができなかった。
彼女は美しい。孤独や悲劇性もあり、ヒロインとしての魅力を備えた人物であることは理解できる。
しかしそれ以上に、彼女は小人たちを支配し、捕食し、命を奪う存在でもある。そのため、ヒロインであるはずの冴子に対して、好意よりも先に、恐怖や倫理的な拒否感、そして心理的な距離を覚えてしまう。
そういう意味で、私にとっての冴子は、恋愛対象というより“脅威”そのものであった。
恋愛シミュレーションという視点で見ると、これはまさしく“違和感”である。しかし、本作の面白さは、まさにその“違和感”にあると思う。
ここからはその“違和感”について少し掘り下げていきたい。
倫理の壁
冴子を、ただのヒロインとして受け止めることは難しい。
単なる好みの問題ではなく、倫理の問題である。冴子はヒロインであると同時に、“快楽殺人犯”でもあるからだ。
では、彼女のもつ倫理的問題は、本作ではどのように扱われているのだろうか。
…
本作は、関係性の決着こそ描くが、彼女の罪の行先は描かれない。
勿論、完全に無視されているわけではない。冴子が自らの行いを省みるルートも存在し、自ら死を選んだり、善行を重ねている姿が描かれるルートも存在する。
しかし、被害者の多さを考えれば、つり合いが取れているようには思えないのも事実だ。反省すること自体は大切だが、多くの被害者やその関係者の溜飲が下りるかは別の問題である。本来であれば、そうした無念を受け止める仕組みとして司法があるはずなのだが、彼女が社会的に裁かれるというルートは存在しない。
そして。冴子がただのヒロインではなく犯罪者でもあることは、プレイヤー自身が命の選別を強制される過程で理解してしまう。この倫理の壁に引っかかり、彼女を素直にヒロインとして見られなくなるプレイヤーも少なくないのではないだろうか。

【補足】彼女の行い
彼女の一連の行動は、連続失踪事件として「雲隠れ事件」という呼び名でメディアで扱われており長年にわたって警察を困らせてきている。具体的な数字こそ明かされないものの、食人の頻度と継続性を鑑みるに、相当数の被害者がいると予想されるだろう。行為の動機は、己の欲を満たすため。社会では「快楽殺人犯」と称されるものである。
また、本作の舞台は2000年代後半の日本を思わせるものであり、現実的な司法制度を前提に読んでも不自然ではないだろう。

人か、怪物か
現実的な話をすれば、社会の枠組みで生きる“人間”である以上は、制度に基づいて裁かれるべきだ。
ただし――
それは、冴子が「人」であれば、の話である。
…
生物学的には彼女は人間だと思う。
しかし同時に、彼女は人を小人にし捕食する、超常的存在として描かれてもいる。その能力に制限は見られず、社会の枠組みに当てはめられるような存在として描かれていない。
重要なのは、その“怪物性”が最後まで解体されないことだ。
本作は3つの結末が用意されているが、そのいずれにおいても、この性質は揺らぐことがない。
ある結末では、冴子は都市を覆うほどの巨人となり、自ら社会との接続を断ち切る。
別の結末では、反省は見せるものの、社会に裁かれることなく、自らの力によって死を選ぶ。
もう一つの結末においても、善行の描写こそあるものの、能力が放棄されることはなく、社会に回収されることもない。
つまり、あくまで冴子は、倫理を超越した「社会の外側の存在」として描かれているのである。そう考えると、快楽殺人犯というよりは、『怪物』と形容されるのが適切なのかもしれない。

心理的障壁
彼女の怪物性は、社会の中で生きることを許されない悲劇性という意味でヒロインとしての魅力を形作る一方で、倫理的に乗り越えにくい壁も生み出している。
しかしそれとは別に、彼女にはもう一つの壁が存在している。
…
それは、加害者と被害者の壁である。
冴子と主人公の関係性は、加害者と被害者という非対称な構造の上に成り立っている。冴子の食人に加担したわけではなく、あくまで選択を奪い行動を強要される一方的な支配関係である。
彼女の加害性の強さは悲劇性が与えるヒロインとしての魅力を霞ませるほどの大きな障壁である。倫理の壁が「正しいと感じられない」問題だとすれば、こちらは「好きになれない」問題である。
少なくとも私は、この壁を越えられなかった。
冴子のヒロインとしての魅力は十分理解出来るのだが、それはそれとして、この支配関係を乗り越えられるほどの好意を私は冴子に持てなかった。
そして、意図されているのか、プレイヤーと冴子の間を取り持つようなイベントが用意されていない。
ヒロインでありながら、素直に好意を寄せられない程の加害性を持つ——それこそが『冴子』というキャラクターの特異性なのである。

危うい疑似体験
ここまでは否定的に記してきたが、冴子を好きになること自体を否定するつもりはない。むしろ、この壁を乗り越えることこそが、ある意味本作の醍醐味だとも思う。
ここでひとつ、思い当たることがある。
――ストックホルム症候群という言葉をご存じだろうか。
誘拐や監禁といった極限状況において、被害者が加害者に対して好意や信頼を抱くことがある、という文脈で語られる言葉である。
もっとも、この言葉自体は正式な診断名として確立されているわけではなく、どこまで一般化できる現象なのかについても議論の余地がある。
その点は一旦置いておくとして――
『SAEKO』には、このストックホルム症候群と重なるものを感じないだろうか。
小人たちは冴子に生殺与奪を握られており、逃げることも逆らうことも難しい。その閉鎖的な支配関係の中で、冴子の機嫌をうかがい、彼女の内面に触れていく。
一方的な加害に晒される恐怖や息苦しさ。その上に、冴子の自己開示に触れることで確実に加害者との関係性は構築されていく。実際、主人公リンは加害と被害の関係性に置かれながら、それでも冴子へ心理的に傾いていき、結末によっては、彼女を匿うことさえある。
そう考えると、冴子へ心理的に傾いていくことも一概にありえないと切り捨てることではないのかもしれない。
ひとつ気になるのは、この構造ははたして、主人公だけではなくプレイヤーにも当てはまるのだろうか、というところである。
残念ながら、私は彼女に惹かれることはなかったが、それが私自身の気質によるものなのか、あくまでゲーム上の疑似体験に過ぎないからなのか、それともストックホルム症候群という概念自体が、そもそも誰にでも当てはまるほど汎用的なものではないからなのかは分からない。
ゆえに、私は本作にそうした疑似体験の余地があることを否定しきれない。
そして、もし本作を通して冴子に惹かれたプレイヤーがいるのだとすれば、ストックホルム症候群的な心理の動きに触れた、といえる可能性もまた、捨てきれないのである。
もちろん、あくまで疑似体験であるそれを、本物のストックホルム症候群と呼べるのかは分からない。
ただ、もし本当にストックホルム症候群のような心地を味わえるのだとしたら、それは創作物が提供する疑似体験としての、ひとつのロマンなのだと私は思っている。
まとめ
そもそも、ヒロインに対して乗り越えられない壁を感じるという要素は、恋愛シミュレーションという領域においてプラスに働くとは思えないものだ。
本来であれば、ゲームとしての魅力を損なってもおかしくない。
私にとっては、それはまさしく“違和感”であった。
ただ、不思議なことに、本作が面白くないかというと全くそんなことはない。
本来であれば噛み合わないはずの要素が、お互いを打ち消すのではなく共存することで、独特の“違和感”を生み出している。
そして、この“違和感”こそが、無二の魅力として本作を下支えしているのだと、私は思う。

余談
余談にはなるが、筆者は副題をよく読んでいなかったので、最初からダークなゲームだと思っていたし、冴子に対する認識も脅威以外の何物でもなかった。
どちらかというと生存戦略が本質だと思っており、「そもそもこの状況でどうすれば生き残れるのか」みたいなことだけを考えていたので、小人たちの生死が物語の軸にあまり関与していなくて面食らった。
あとから考えれば、本作は冴子という存在を単なる脅威として処理する作品ではなく、彼女との向き合い方そのものを描く作品でもあったのだと思う。ちゃんと副題で表明していたにも関わらず、それを見落としていたのは私の推測の粗さである。結果的には、私が冴子の倫理的問題を直視しすぎたため、恋愛シミュレーションの文脈から置いて行かれただけという側面もあると思う。
なお、本稿では彼女には贖罪が必要という前提をもとに考察しているが、実際に彼女が何らかの方法で異能を放棄し、社会に人として裁かれ、逮捕、極刑という流れをプレイヤーが見たいかというと、正直リアルすぎて少し冷める気もする。その意味では、あえてそこを描かない判断にも、妥当性はあると思う。
また、彼女のもつ超常的な力は本人も意図しない後天的なものであり、とあるアイテムによって得られたと推測される描写があることから、実はこの世界には彼女のような存在が他にもいる可能性はある。あくまで怪物は冴子しかいなかったと読めるように論じているが、描写としてそう見えるように描かれているというだけであり、ここも筆者の見解に過ぎないという点は述べておきたい。
そして、こういう置いていかれた作品ほど印象に残るし、他の人はどう感じたのだろうか、という気持ちになる。だからこそ、こういう記事を残しておきたくもなるし、長々と記してしまった以上は、自分も気づかぬところで『SAEKO』にハマってしまっているとも言える。
といったところで、本稿は以上にしたい。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
~おわり~


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